空の各駅停車 (第1話)
あのフライトは、今も忘れられません。
それは、学生時代、ヨーロッパ一人旅をした時のことでした。
お金がありませんでしたので、南回りのパリ行き格安チケットを買いました。
乗ったのは、パキスタン・インターナショナル・エアライン(PIA)という航空会社でした。
パイロットが、パキスタン空軍の精鋭だという言葉だけを信じて決めました。
東京から、上海、北京、イスラマバード、カラチ(乗換)、ドバイ、カイロ、フランクフルト、パリというまるで各駅停車のようなフライトで、金はなくても時間のある学生向きではありました。
また、こんなことでもないと行かないだろうと思う地を巡るので、結構好奇心もありました。
当時、成田空港ができる前で旧羽田空港からの出発でした。
そして、最初のトランジット(一時立ち寄り)が、中国の上海と北京でした。
今や、GDP世界2位の国、中国ですが、その頃は、文化大革命で横暴の限りを尽くした四人組が追放されたばかりで、まだそこに行くことには緊張感がありました。
上海は、給油だけで外には降りず、北京に向かいました。
北京では、機内に人民服を着た税関吏が乗り込んできて、全員のパスポートを没収しましたが、離陸前には返してくれるのだろうかと、一抹の不安を感じました。
空港ビルは、古めかしい巨大な建物でしたが、中はガランとしていました。
出口から、少し外に出てみましたが、タクシーが1台止まっているぐらいで、人の気配は全くありませんでした。
機内に戻り、離陸を待っていると、例の税官吏が心配していたパスポートを持って現れ、ひとりひとりにパスポートを返してくれました。
どうも、パスポートを持って勝手に出入国させないために、パスポートを預かっていたようでした。
そして、パキスタンの首都イスラマバードへ向け出発しました。
途中、その昔インドに向かった三蔵法師も通ったという茫漠たるゴビ砂漠や険しい天山(テンシャン)山脈の上空を飛び、感動を覚えました。
イスラマバード到着を前に機内放送で、「次のイスラマバードではロンドン行きに連絡、その後のカラチではパリ行きに連絡となりますので、ご注意ください」と、繰り返されました。
これが後でトラブルになるとは、その時は思いませんでした。