自己責任という言葉も、最近では、社会的に定着してきました。
しかし、自己責任の重さがどれほどのものかが一般に理解されているかは疑問の残るところです。
相場とは、直接は関係ありませんが、自己責任の重さに関わるエピソードをふたつほどご紹介したいと思います。
ひとつ目は、学生時代、ヨーロッパへ貧乏旅行に行った時のことです。
飛行機も格安のパキスタン・インターナショナル・エアラインという各駅停車のような便を使いました。
飛行機は、上海、北京と降りた後、中国大陸を斜めに横切って、パキスタン領内に入り、首都イスラマバードと商業都市であるカラチに降りました。
到着前に、何度も、これから降りる2都市で、イスラマバードではロンドン行きの便に乗り換え、カラチではパリ行きの便に乗り換えとなるので、注意するように繰り返しアナウンスされました。
私は、パリ行きでしたので、カラチまで続けて乗りましたが、イスラマバードを離陸後、学生風の乗客が呆然としてスチュワーデスとなにやら話していました。
どうしたんだろうと思い、聞き耳を立てたところ、どうもイスラマバードで降りてロンドン行きに乗り換えなければならないところを、そのまま乗ってきてしまったということのようでした。
全く見知らぬ国で、カラチからイスラマバードに戻り、しかもロンドン行きの便にうまく乗り継げるのだろうか、また荷物だけロンドンへ行ってしまうのかと、さぞや心細かったこととひとごとながら思いました。
しかし、これは自己責任です。
乗り換え場所を聞き漏らしたことで起きた災難を、誰も責めることはできません。
もうひとつは、私がニューヨークにいた時のエピソードです。
私は、通勤に電車を使っていました。
ある日の帰宅途中、いつものようにマンハッタンの駅で買ったビールを車中で飲みました。
車内で寝るのがいかに危険かは良くわかっていましたが、疲れていたせいか、そのままアタッシェケースを棚に載せたまま寝てしまいました。
そして、目が覚めたときには、案の定、アタッシェケースはしっかりなくなっていました。
これも、誰も責められない自己責任です。
むしろ、命があっただけでも、まだマシだったと我ながら思いました。
このように、自己責任は取り返しのつかない重いものです。
相場の世界には、この自己責任が常に存在することをお忘れにならないでください。
マーケットで起こる些細なことでも気に留める緊張感を持つことが大事です。
それを怠ると、損失という具体的でかつ誰も責めることのできない結果が降りかかってくることを忘れてはならないと思います。