私の鬼軍曹(短期集中の猛特訓)
41年前、私は銀座支店からロンドン支店に転勤と同時に、ロンドン支店長からディーラーになるように命ぜられました。
確かに、ディーラーは、ある意味、カッコよさもあり憧れていましたので、そう言われて、「やった!」と正直思いました。
しかし、それが地獄の入り口だとは、その時は思ってもみませんでした。
ディーリングルームに、早速連れて行かれ、ディーリングルームのトップと挨拶をした後、担当上司を紹介されました。
その人が、私の鬼軍曹でした。
見るからに、こわもての人でしたが、挨拶早々、「やりながら覚えていけばいいなどと考えていないだろうな。」と、人の心を見透かしたような一撃をまず受け、そして、「自分から勉強していくつもりでなければ、うちはオマエはいらん。」と、もう一撃が浴びせられ、出だし早々にして、クラッときました。
それからの毎日は、罵声罵倒の連続で、英語は出来ないし、相当心身ともに消耗しました。
そんなある日、なんのことが原因かはもう忘れましたが、鬼軍曹の逆鱗に触れ、「そんなことまで、俺に話させるのか。フフフフ。」と、最上級で怒っている時のかすれた笑いを浮かべ、そのあとは全人格を徹底的に否定されるようなお叱りを受け、さすがに、自分が情けなく、ディーリングデスクで悔し涙にくれ、早く日本に帰りたいとさえ、本気で思ったこともありました。
しかし、鬼軍曹の厳しい教育が功を奏し、私は短期間にいろいろなことを身につけていき、そして、ディーリングというものの魅力に取りつかれ、仕事がおもしろくておもしろくて仕方がなくなりました。
後日、ある人から聞いたのですが、「あの人は、ディーリングルームの人手が足らず、少しでも早く戦力になってほしいと君には厳しくしていたけれど、ディーリングルームの外の人達には、君はよくできると褒めていたよ。」と聞かされ、胸にグッと熱いものを感じました。
それから、41年、外国為替が好きで、ずっとこのこの仕事を続けてきましたが、それもこれも、最初の鬼軍曹の「自分で学べ」という厳しい教育があったからこそだと思っています。
そして、思うことは、もしもあの時、外国為替に興味を持っていなかったら、たぶん続かなかっただろうと思います。好きだからこそ続けてこれたのだと思っています。