昔話(天国編)
昔話をするようになったら歳をとった証拠だと思いますが、この昔話をすることで皆様のトレーディングの一助になればと思いお話させて頂きます。
儲けた話は吹聴するものではないと先輩ディーラーから厳しく言われていましたが、もう35年ぐらい前のことですので、この話は時効だろうと思いご披露することにしました。
それは、私がロンドン駐在を終えた後で、ニューヨークへ異動する前の東京時代のことでした。
1989年、日本の機関投資家である大手生命保険会社が、その活発な外債投資から「ザ・生保」と呼ばれ世界に名を轟かせていた頃で、私はその時、ドル/円のチーフでした。
その年の4月、ドル/円はテクニカル的にはかなりのドル高になりそうな形状を示していて、また新年度入りした機関投資家の外債投資が活発化しそうだという情報も入り、130円台でドル/円をポジション・リミット(ポジション保有限度枠)ぎりぎりまで買いました。
私の相場のエントリーのポリシーは、相場に入る以上は自分から能動的に思い切り良く(平たく言えば、気合いで)相場に飛び込まないと道は拓けないと考えており、主にプライスを叩いて(成行で)入ることにしていました。
ちなみに、手仕舞いも一気にやってその後に未練を残さないことにしています。
その時もプライスを叩いていっぺんにガバッと買ってエントリーしました。
この後、ドル/円は6月に向けて、一本調子に上がり続けることになりました。
それは、さながら2005年の9月から12月に掛けての、ドル/円が109円台から121円台へ一本調子に上げた、ドル/円・クロス円での円キャリートレード相場のような状況で、ある意味バイアンドホールド(買って持ち続ける)というイージーな相場でした。
毎朝、シンガポール・香港の米系大手銀行が、相場の調整的な下げを狙って、ダイレクトに東京の銀行を呼んできて、仇のように売り込んできては相場は1~2円急落しましたが、結局またその日の東京時間中に上がりだし、これら米系銀行は東京の午後からロンドンオープン頃になるとたまらずロスカット的に買い戻してきました。
そして6月に入り上げに加速がつき熱気を帯びて、とうとう150円台に乗せた時、これはさすがにやり過ぎだと直感し、金曜のニューヨークタイムに手持ちのドル/円のロングをすべて売り、さらに売ってショートにしました。
そして、相場は急落。
私自身は、ショートを適当なところで買い戻しましたが、相場自体は翌週には高値から一時14円安の136円台まで激落しました。
そして、7月終わりから9月に掛けての再度の上昇相場に乗りもう一稼ぎして、中間決算を迎えました。
その時、先輩ディーラーに呼ばれ、「おまえは、確かに儲けた。しかし、決してそれを吹聴するなよ。」と忠告されました。私自身も、そういう気持ちはありませんでしたので、このことを誰にも話したりはしませんでした。
しかし、心の中には、油断とおごりが生まれていました。